これでいいのだ
私は毎朝、本を音読します。
自分を上に押し上げてくれるような、そんなエネルギーをくれる本を適当に開いて、見開き分読みあげます。
今日は、音読をする前になんとなく手帳を開きました。
そして、タモリが赤塚不二夫の告別式で読み上げた弔辞を読みました。
この弔辞に好きな部分があるんです。
あなたの考えは全ての出来事存在を、あるがままに前向きに肯定し受け入れることです。それによって人間は、重苦しい意味の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を絶ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。
この考えをあなたは見事に一言で言い表してます。
すなわち、「これでいいのだ」と。*1
これを読んだ後、いつも音読している本を開きました。
そこにはこんなニュアンスのことが書いてありました。
現状を変えられないのなら、考えを変えるしかない。つまり、これは自分が選んだことだと。「これでいいのだ」と覚悟を決めて、前に進むしかない。
まさか、「これでいいのだ」に立て続けに出合うとは。
適当に開いた部分に書いてあるとは思いもしなかったです。
こういう偶然があると、「これは天啓か!」と安易な発想につながるのが私です。
赤塚不二夫の軽やかな「これでいいのだ」
いつも読んでいる本の腹を決めたときの「これでいいのだ」
今日から脳に刻みました。
「これでいいのだ」