そんなに考えなくてもいいと思う

しかし、考えることをやめられない。今の目標は、考え過ぎて動けないから動きながら考えるへのチェンジです。

自分を解放する

車を運転しているとき、大声で歌います。

音程も歌詞も気にせず歌います。

気持ちいいです。

ただし、街中を走っているときは、人目や信号を気にしなければならないので

交通量の少ない道路を走るときに限ります。

幸い、田舎はすぐに交通量の少ない道路に行き当たります。

 

イライラしてどうしようもないときは、ノートにその思いを書き殴ります。

注意点として「これを書いたら人間としてどうかな」というリミッターを外すようにしてます。

そのリミッターがあるからイライラしてるんだよ!ぐらいに思って、ボールペンなり持ってこれでもかというくらいに書き殴ります。

単に「バカ」とか「ウザい」だと、つまらないので具体的に書くようにしています。

たとえば

浅はかな論理を展開し、それを得意げに話していること自体、己が薄っぺらく救いようのない人間だと披露していることに気づいていないのか。恥を知れ。

ポジティブに汚染された楽観主義め。深く思考することなく前に進もうとするから同じ失敗を繰り返すんだよ。去ね。

などなど。

これは例ですよ。

普段からこんなことを考えているわけではありませんよ。

こういう風に書いていると、少し冷静になれます。

自分はどこが気に食わないのか、何に腹を立てているのか。

わかってくると「今日はこれくらいにしといてやる」とよくわからない上から目線でノートを閉じます。

多少すっきりしています。

 

昨日、友人と嵐について話しました。

テンションが上がり、あの場面がよかった、あのダンスはかっこいい、と盛り上がっていきました。

しかし、盛り上がれば盛り上がるほど、嵐のよさを伝えようとすればするほど私の語彙は「かわいい」「かっこいい」「クール」「神」などに集約されていきました。

同じ言葉を繰り返し、発展しない説明を情熱だけで伝えようとする。

自分に絶望した瞬間です。

なんで、人を罵る言葉はスラスラ出てくるのに、人を褒めたたえる言葉は詰まるんだ。

私の人生そのものを象徴しているようです。

 

友人は「思いは伝わってきたよ」と言ってくれました。

これで思いさえ伝わらなかったら、お互いとんだ拷問の時間になるところでした。

人をほめる練習も必要かぁ・・・