そんなに考えなくてもいいと思う

しかし、考えることをやめられない。今の目標は、考え過ぎて動けないから動きながら考えるへのチェンジです。

 福山雅治の魂ラジが終了すると聞いてひたすら悲しい

タイトルそのままです。


魂ラジ終了 福山雅治の決断(2014年12月7日(日)掲載) - Yahoo!ニュース

 

朝から放心状態です。

昨日の放送最後まで聴いておけばよかった!

なんで寝落ちしたんだ!

 

なんで!

引退するの?!

ちがうよね!

と取り乱し、記事を見て少し落ち着きを取り戻し、

でもやっぱり悲しくて4月から何を楽しみに生きていけばいいんだろう

と落ち込んでいました。

 

福山さんのファンになったのは私が高校生のときなので約10年前ですね。

そうか・・・10年か。

つまり魂ラジ歴10年。

本当に福山さんの声には癒されてきました。

いい声って何を言ってもいい声なんですね。

・・・洗脳されてますね。

 

リスナーからの相談にも面白くも真剣に答えていて

「かっこいいだけじゃなくて、人間としても深く魅力的な人だな」

と歌っているときよりもラジオの福山さんの方が好きになりました。

 

スター街道を進んできてたと自ら冗談で言っていたり

オリコンの順位が気になると堂々と言ったり

モノマネをしてくれたり

本当に楽しいラジオでした。

 

特に、龍馬伝をやっているときは

撮影裏話や共演者をゲストに呼んで楽しいトークを繰り広げたり

ファンにとっては贅沢な時間でした。

 

それが終わる・・・

 

悲しい。

 

 

西島秀俊が結婚した時ネットでは「悲報」と流れていましたが

私は

「まぁ、ショックだけど私には福山さんがいるし」

と高みの見物でした。

しかし、今回の魂ラジ終了でこんなにうろたえている自分を思うと

「そうか、西島さんのファンもこんな気持だったのか」

と納得しつつやっとその痛みをわかることができました。

 

いまだに動揺が止まりません。

どうせならロマンティックが止まらない状態になりたかった。

 

来週の放送で真相が語られるそうです。

うぅ・・・悲しい。

母が家を出て行った

先週から2週間ほどね。

プチ家出とかそんなドラマティックなことではなく、

姉の子育てのヘルプに行きました。

仕事を始め、保育所に預けるが「慣らし保育」期間があるようで、

午前中のみなど短時間しか預けられず、家にいる時間の面倒を見て欲しいということです。

 

子育てには周りの協力が本当に必要です。

 

さて、残された父と私です。

果たしてうまくやっていけるのでしょうか!!

家事分担は以下の通りです。

私:料理、洗濯、掃除(風呂以外)

父:風呂掃除、食器洗い

 

料理なんてね、自分が食べたいものを「ふへへへへ」と作っているだけです。

今の世の中便利で、例え料理が下手でも、

オイスターソースとめんつゆさえあればどうにかなるのですよ。

「肉やーーー!!!今日は肉の気分じゃー!」

「サバ!サバが食べたい!」

「今日何食べたい?」

と父に全く訊くことなくを独断で決めています。

しかし、困ったことに私は料理が得意ではありません。

ゆえに要領よくやるというのができず、

本当に遅いです。

集中すればできるのですよ。

でも、疲れる。

だから、遅い。

 

味ですか?

おいしいですよ。

だって、オイスターソースとめんつゆですもん。

あるいはレシピ本通りに作っていますから。

 

オリジナリティなんかいらねぇんだよ!!

 

と自分にを入れています。

 

今日は、豚汁にサバの味噌煮でした。

副菜はゆでキャベツのレモンマヨネーズあえ、です。

副菜、適当だろ!って思ったでしょ。

でもね、これケンタロウのレシピなんですよ。

簡単でおいしそうだったから作ってみたんですけどね、

やはり素人だからでしょうか。

見た目が「失敗作」なんですよね。

当たり前です。

ゆでキャベツにマヨネーズ混ぜただけなんだから。

いやいやいや。

本だとシャレオツに盛り付けてあったよ?

おっかしいなー

盛り付けの指導なんてなかったし。

こういうところが「料理センス」にかかわってくるのでしょう。

残念ながら私にはないようです。

味はよかったんですけどね。

見た目がなぁ・・・・

 

 

そんなわけで母が出て行ってからはぼちぼちとやっております。

親子関係も良好です。

主にチャボのことを話しています。

むしろチャボに話しかけています。

え?良好・・・うん、喧嘩してないから良好良好。

 

 

「伝える」ことに近道はないのだよ

昨日の文を改めて読んでみると、

本当に何を言っているのかわからないですね。

なぜあんな文を書いたのかというと

自分の軽率な態度から人に私が「怒っている」と思わせたことが原因です。

「怒らせてしまってごめん!今度から気をつけるから許して!」

といった旨のメールが着た時には

「えぇ?!何のこと?!なんで私が怒ってることになってるの?!」

と動揺してしまったんですね。

すぐに誤解は解けたのですが、

もう少し自分が言葉を尽くしていればこんなことにはならなかったのだろうか、

と反省モードになってしまいました。

 

だから

「これから私も自分の考えをもっと伝えるから、

あなたもこれに懲りずに伝えてくれると嬉しい」

といったニュアンスのメールを送りました。

私にしては一歩踏み込んだ提案です。

そして、今現在。

 

 

 

 

 

返信が来なーい!!!!!

 

 

え?!あ!

重かった?

真面目すぎた?!

上から目線だった?!

あああああああああ

「昨日のはなんか堅苦しかったね。ごめん気にしないで☆」

って送りたあああああいいいいいいい!!!!

でも送ったら

「え? 真剣? ふざけてるの?どっち?」

ってなるからだめだああああああ!!

いやいやいやいや。

落ち着けよ。

そんな1日くらい返信がないなんて普通じゃないか。

私だって返信遅いだろ。

そうだ。

相手はどう返そうか真剣に考えてくれているんだ。

そうだ。そうに違いない。

そう思わせてくれ。

 

なんというかこう・・・

改めて人との関係性や距離感を考えながら

伝えあうというのはエネルギーがいりますね。

「それちがうんだけどなーまぁ、大したことじゃないからいっかー」

ですませるのなら気持ちは楽なんですけどね。

それが積み重なって、気づいたら目も当てられない「価値観の相違」になっているかもしれないのでね、今こうやって釣られた魚のように暴れまわっているんですね。

今ならたとえ傷が付いても浅い!

と自分に言い聞かせながら。

 

メールとかLINEとか伝える「手段」はたくさんあるのに

ずっと根本的なことでもがいています。

 

さすらいさすらえば

私は自分のことを話す方ではありません。

どちらかというと聞き役です。

そして、溜めこむ方です。

溜めこませて爆発させます。

 

もう少し、人に頼ることを覚えて隙を見せたらいいとアドバイスをされたこともあります。

仕事の面などではガンガンに人に頼っています。

いやもう自分にできることなんて限られています。

あ、そういうことではない?

精神面で?

相談したり? 悩みを打ち明けたり?

ほうほう。

 

無理です。

 

もちろん全く相談しないということはありません。

しかし、それは一緒に怒ってほしいとか悲しんでほしいとか、

感情を共有して欲しいときが多いです。

どうしようもなくて、自分でも何が原因かわからないんだけど、

とにかく闇を彷徨っていることはわかる。

さて、私はどうしたらいいだろう、といった悩み相談はしません。

つまり、答えを全面的に相手に求める相談はしません。

ある程度、原因・問題点・自分の考え・こうしたい

などの要素は伝えられるようにしてから相談します。

そうなると相談というよりは、アドバイスを求めている、背中を押してほしい

といったことになるので・・・相談じゃないともいえます。

また、ほぼ整理できているのであらかたの答えは見つかっています。

あとは、それを実行するだけ、となるともう相談しなくてもいいだろう、

となって自己完結に終わることもあります。

 

高校生のときに友人が後輩から相談を受けていました。

「どうだった?」と聞くと

「ずっと同じことの繰り返しで聞いてるこっちがしんどかった」

という答えが返ってきました。

私は

「あぁ、相談をしている人が辛さを抱えているものだと思っていたけど、

相談を受ける人も辛いんだな」

と知りました。

適当に流さずに、親身に聞いてい分、終わりが見えなくて

疲弊してしまう。

この件があってから、相談するときは相手の負担にならないようにと心がけるようになりました。

 

だからでしょうか。

ときには人と壁を作っているのではないかと考えてしまいます。

相手のためと気遣っていたら、いつの間にか壁ができてしまった。

どうしたらいいものか。

と壁を眺めているのが今の状況です。

壊す? 乗り越える? 下から穴を掘る?

理想としてはドアをつけるのがいいんだけどなぁ。

開閉自由。しかし、通れる幅に制限がある。

そうすれば、冷静になれる。気がする。

 

すみません。

自分でも何を書いているのか、何を書きたいのかさっぱり。

うーん、要するに

自分の考えを人に伝えるのはむずかしい。

という凡庸な迷路にはまっているということ・・・です。

本文に関係あったのか?!ないだろ?!

絶賛モヤモヤ期です。

すべてはチャボのために・・・

両親と紅葉を観に行きました。

車で20分ほどのところにある公園です。

 

着くなり父親は車のトランクから虫取り網を取り出しました。

そして、さも当然のように私に渡しました。

「なんで?」

なんで虫取り網を私に渡すの?

父は短く答えました。

「バッタを狩る」

初冬のこの時期にバッタを探すと言います。

しかも、「取る」ではなく「狩る」です。

私は「あぁ・・・いるかな」と深く追求せずに虫取り網を持ち直しました。

 

 

今朝、ガーデニングをしていた母がバッタを捕まえました。

「どうする?!どうする?!」

と興奮気味にリビングに上がってきます。

私も「え?!バッタいたの?!すごい!!」

と興奮し、

「外に出そう!外で食べさそう!」

と続けます。

母がそれに従い外に出ます。

私はチャボを母の近くに持っていき、放しました。

母が手の中にいたバッタを放します。

 

チャボはすばやくバッタをくちばしで捕まえ、地面に2,3度叩きつけます。

バシッバシッと音が聞こえてきそうです。

そして、バッタを頭の方から丸のみしました。

 

そうです。

チャボはバッタを食べます。

それが判明したのは今年の初秋でした。

庭を探索していたチャボが、突如走り出しました。

短い脚を一生懸命伸ばして、何かを追いかけています。

その何かがわかったのは、チャボがくちばしでつついていたものが見えたときです。

 

コオロギでした。

 

小さいコオロギを何度かくわえては放し、丸のみしました。

 

一部始終を見ていた母は驚きました。

 

チャボは虫を食べる。

 

この事実は、我が家にショックと興奮をもたらしました。

後に本で調べたところ、イナゴを食べさせると滋養にいいとありました。

ただのえさではなく、栄養としていい。

チャボを溺愛する父はこの情報に食いつきました。

イナゴを食べる。コオロギを食べる。ならば当然バッタも食べるだろうと、私たちは推理しました。

しかし、悲しいことにそれを知ったときにはコオロギもバッタもほとんどいなくなっていました。

来年に期待しよう。

そうまとめて冬を迎えるはずでした。

 

そこに今朝のバッタが現れました。

父は考えました。

「公園に行けばまだバッタがいるだろう。チャボのために捕まえてこよう」

紅葉を観に行くと母と私を誘いだし、バッタ狩りをする。

すべてはチャボのためです。

 

公園の奥まったところに行き、11月の下旬にどうせバッタなんていないだろうと思って私は適当に網を回しました。

父は私の手から網を奪い取り、熱心に網を振り回します。

いやいや、取れないだろう。

冷めた目で見ていた私の耳に母の叫びのような声が入りました。

「いた!いたよ!速く網持ってきて!!」

母のもとに駆け付けると、確かに緑色のバッタがいました。

本当にいた!!

父は一生懸命網で取ろうとしますが、なかなかうまくいきません。

見かねた母が

「手で取ればいいでしょ!」

と素早く掴み、父が持っていた網にバッタを入れました。

 

母、無敵。

 

取れた喜びがすぐに「ここにはバッタがいる」という実感になります。

両親共にうろうろとバッタを探します。

いました。

今度は10cmはあろうかという大物です。

さすがに母も簡単には捕まえられず、父が網で追いかけます。

虫が苦手な私は、バッタが逃げるたびに「きゃー!」と悲鳴を上げます。

バッタを追いかける大人3人。

奇怪な光景です。

周りに誰もいなくてよかった。

苦心して捕まえたバッタを誇らしげに見る父。

「これは大きいな」

 

あわれ、バッタよ

チャボのためにえさを求めている酔狂な人間に追い回され

あわれ、バッタよ

捕まえられたら最後、行きつく先はチャボの胃の中。

 

網に閉じ込め、次なるバッタを求めて場所を移動します。

結局5匹捕まえることができました。

こんなにいるとは思わなかった。

父は満足気にバッタの入った網のくちを絞り、大事そうに車のトランクに仕舞いました。

 

すべてはチャボのために・・・

私がホテルに求めるもの

快適に眠れること。

 

年末に行く旅行の計画を立てています。

毎回ホテルの予約に頭を悩ませます。

 

じゃらん楽天をにらみつつ、比較につぐ比較です。

 

まず値段。

予算があるのでこれ抜きでは語れません。

 

予算である程度絞った後、立地を検討します。

自分の移動能力で行けないと意味がありません。

公共交通機関が主な移動手段なのに、

「高速インターから車で10分」とあったら

いくらよいホテルでも行けません。

 

問題はここからです。

冒頭にも書きましたが、私がホテルに求めることは

快適に眠れる

です。

シンプルです。

そして、難しい。

なぜなら、雑誌やネットからの情報では判断できないから。

 

廊下からの話声が聞こえる。

冷暖房がうまく調節できない。

ドライヤーの風圧が弱い(髪が乾かず寒い)

 

など。

これらを避けるため、口コミを読むのですが、そうすると収拾がつかなくなる。

どのホテルも何かしらマイナスがあります。

すべてを鵜呑みにするわけではありませんが、やはり気になる。

 

そして、そこからどこまで妥協できるか、と自問自答が始まります。

建物が古いのはどうか。

接客が悪いのはどうか。

駅から少し歩くがどうだ。

 

その結果

 

寝られればよい。

 

と最初の問題提起に戻ります。

 

オーストラリアをバックパッカーとして旅をした経験から

一人でシャワーを使えて部屋で寝られるのは贅沢と思い、

屋久島で山小屋で寝た経験から

ベッドで寝られれば最高、

と余計なものがそぎ落とされすぎて、骨だけになりました。

 

つまり、私はこれからも宿選びで悩み続けるのか、

とこれを書いて気づきました。

おぉ・・・のう・・・

切り替えが速い

無事に試験を終えました。

持てるすべての力を出し切り、

手応えとしては受かっているか否かギリギリといったところです。

受かれ!受かれ!

と終わった後に願ってもしょうがないだろうと

気持ちを切り替えご褒美にカラオケへGO!

え?もちろん一人ですけど何か?

 

試験のことなどすっかり忘れルンルンです。

カラオケマイルールとして、店員さんが来るまで曲はいれません。

人といるときは自分が歌わなければすみます。

しかし、一人のときは曲を検索しているふりをして店員さんを待ちます。

やはりノリノリで歌っているところを見られるのは恥ずかしい。

ということで歌う曲など決まっているのに、検索です。

 

来ない。

店員さんが来ない。

歌えない。

歌いたい。

歌えない。

歌う。

 

いつ店員さんが来てもいいようにAKBの恋チュンを入れて喉ならしです。

はい、店員さん来た。

演奏中止。

 

嵐メドレー!!!!

ひゃっはーい!!!

人を気にする必要ないので歌いながら次の曲を入れます。

履歴はすぐに嵐で埋まります。

歌っていると脳内でライブ映像が自然と再生されます。

非常に楽しいです。

何十回も観た甲斐があります。

いい能力を身につけました。

だから、一人でも十分楽しいです。

 

カラオケを十分堪能し、帰路につきます。

 

試験を受けに行ったのか、カラオケに行ったのかどっちが本来の目的だったか・・・